アメリカのヒップホップシーンで独自の地位を築くRuss(ラス)は、インディペンデントアーティストとしての成功を加速させています。2023年にはTuneCoreを通じた楽曲だけで年間ストリーミング数が10億回を突破し、総額15億円以上の収益を記録。さらに2024年に入ってからも勢いは止まらず、シングル『That’s My Girl』がリリース後わずか3ヶ月でSpotifyだけで2億回再生を達成、週間ロイヤリティ収入は平均1200万円を超えることも。ストリーミング時代を象徴する彼の驚異的な数字と、その裏にあるDIY精神を深掘ります。
インディペンデント時代
Russが本格的に音楽活動を始めたのは2011年、19歳の時です。当時、彼はSoundCloudを拠点に楽曲を無料で公開し始めました。プロデュースからレコーディング、ミックスまで全てを自分で行うDIYスタイルを貫き、2011年から2014年にかけて11枚ものミックステープと87曲のシングルをリリース。この驚異的なペースです。しかし、デビュー当時は注目されることも少なく、苦労の連続でした。アトランタの自宅の地下室で曲を作り続けながら、仲間と組んだグループ「Diemon」で活動を広げようと奔走。でも、なかなか結果が出ない日々が続きました。それでもRussは諦めず、毎週新曲をアップロードし、SNSでファンと直接繋がる努力を重ねました。
☕️コラム「まずは決意が大切。失敗してもいい、突っ走った先に見えてくる」
これから先も変わらないRussの「音楽で生きる」という決意。いくら自分で曲作って出せるとはいえ、毎週1曲をリリースするというのは驚異的。ビート→歌入れ→ミックス→マスタリングこれをやっていた。ライブもなかなか人が集まらなかったことをインスタグラムでも投稿していた。本当に苦難の時期。
そんな時期を支えたのが、これから先も変わらないRussの「音楽で生きる」という決意。
きっとRussは音楽の世界でなくても成功するんだと思う。
メジャー契約とコラボ
Russは2017年にコロムビア・レコードと契約を結びました。この時期、彼はインディペンデントで「Losin Control」や「What They Want」などのヒット曲を出し、注目を集めていたため、メジャーレーベルとの契約に至ったとされています。
その後、Russはコロムビアとの契約を維持しつつも、インディペンデントなスタイルを崩していません。2020年の「Shake the Snow Globe」や最近のリリースも、彼が自身のレーベル「Diemon」とコロムビアの共同で進めている形が多いです。つまり、レーベルのサポートを受けつつも、自分のスタイルを保ち続けました。中にはプロディーサーを入れた曲もありますが、基本的にDIY、自分で曲を作るスタイルです。
☕️コラム:成功をに到達する道は幾つでもある。
成功への道は一つではない。Russはメジャーと契約をしていた時期のことを、聞かれてもほぼ話さない。この動きから彼が何にこだわっているかがわかる。DIY自分で自分の音楽はコントロールするということ。時として、人は何かにこだわる。けれど、それって本当に必要?ってことがある。もっと深ぼってみると、きっと根本的なこだわりに通じる。成功への道は一つではない。何をこだわりたいのかそれを大切にしていこう。
家族背景とマインドセット
Russ(本名:Russell James Vitale)は、1992年9月26日にニュージャージー州で生まれました。幼い頃、彼の人生は決して安定していませんでした。父親の仕事の都合で家族は引っ越しを繰り返し、ノースカロライナやケンタッキーを転々とした後、やっとジョージア州アトランタに落ち着いたのは10代後半になってから。この不安定な環境の中、Russにとって大きな支えとなったのが、おじいちゃん「Pop」が教えてくれたクラッシックギター、音楽。
Russは父親との関係が遠く、母親が精神的に不安定だった中で育ち、姉(Giana)と兄(Frank)を支える役割を担った。彼の歌詞やインタビューでは、家庭内のストレスや母親への責任感が出てきます。
母親のメンタル不調や兄弟を支えた過去。アルコールに溺れた時期を経て、セラピーでバスケと心と体のバランスをとることを学んだとインタビューて答えている。
☕️コラム : 苦しみの中でも何度でも立ち上がる。
苦しみと向き合いながら、何度でも立ち上がる。彼は自出をあまり語らない。それが魅力の一つ。その少ない話の中で、お母さんのことはよくでてくる。お母さんを支え、自分と会話し、自分の内面をえぐっていった。苦しみの根源を探っていくのはとても辛い作業。けれど、これは誰かに手伝ってもらえたとしても、自分しかその作業を完結させることはできない。Russは早くから自分の問題に気づき、リリックを書きながら、内省をしていったのだろう。でもそこは人間、アルコールに手を出し、体や精神を壊しかけた。でも、Russはここにいる。
苦しみと向き合いながら、何度でも立ち上がる。そんな姿にファンは勇気をもらうのだろう。
試練の時期と再生:空白から復活へ
デビュー後の快進撃の中、Russにも試練の時期がありました。2019年10月から2020年3月頃、彼はSNSでの発信を控え、目立った活動が減少。この時期、彼はお酒に依存していた可能性があり、精神的にも肉体的にも厳しい時間を過ごしていたと考えられます。2017年のビーフで受けた批判や、メジャーレーベルとの契約(2017-2020年)のプレッシャーが重なったのかもしれません。しかし、2020年に「帰ってきた、俺は大丈夫」とファンに宣言し、新たなクリエイティブな道を模索しながら復活。その後の2023年、彼はアルコールなしでライブをやり遂げ、依存を乗り越えた姿をファンに見せつけました
☕️コラム:自分が正しいと思ったことは曲げない
自分が正しいと思ったことは曲げない。時として、正直なことを言うことは、論争を呼び、自分も周りも疲弊してしまう。Russも白人ラッパーとしての地位を認めてもらうために、何度がビーフを起こしていることがある。常に指を立てるのではなく、タイミングと状況を冷静に判断してのことだと察する。なんせ屈指のマーケーターだから。
そんなRussも精神的、肉体的にも限界を超えたことがある。珍しくこの期間の投稿は消されている。彼の言葉には自分が正しいと思ったことは曲げないという正しさへのこだわりがあり、一貫している。
ファンとの繋がりとインディペンデントへのエール
Russの魅力は、ファンとの強い絆にもあります。SNSで直接メッセージに返信したり、ライブでファンと語り合ったり、彼は常に「リスナーの目線」を大切にしています。2017年にColumbia Recordsと契約した後も(2020年まで約3年間)、自分の音楽のコントロールを失わず、その後は再びインディペンデントに戻りました。彼は「アーティストは自分の音楽を所有すべき」と語り、TuneCoreでのストリーミング収入が10億円を超えたことを公表して話題に。
☕️コラム:自分の使命
「決意」と「使命」が重なった時、多くの人は熱狂し、彼に魅了される。活動の中で、ファンとの絆を大切にするRuss。そして、インディペンデントアーティストを鼓舞し続けるメンターでもある。活動を通して、彼は3つの柱を持っているように思う。「ファン、仲間、音楽業界の改善」時として煽りに見えるような投稿も、全てが計算されているのだろう。
Liveの集客に困るアーティストが多い中、彼のワールドツワーは満席。
「決意」と「使命」が重なった時、多くの人は熱狂し、より彼に魅了される。そこに大きな価値が生まれ、それを元にRussは活動を広げている。
さいごに:自由を手にするための哲学
北米のヒップホップシーンでは、成功を象徴するものとして豪華な生活や派手な見せ方がよく強調されます。しかし、Russはその文化の中であえて派手さを見せつつも、そこには深い意味が隠されています。彼が見せる豪華な生活―プライベートジェットや高級な家―は、単なる富を誇示するものではなく、実は「自由」の象徴です。
ヒップホップ文化において派手なものを見せることがステータスの一つとされる中で、Russはその中に逆説的な自由を見出しました。派手な外見と物質的な成功が、実は彼の「自分の意志で人生を選ぶ力」の表現となっているのです。彼にとって、物質的なものは「自由」の手段であり、自己表現の一部なのです。だからこそ、他のアーティストたちと同じように外的な成功を誇示しながらも、その背後にあるのは「持たない自由」「コントロールする自由」の哲学なのです。
Russの派手なライフスタイルの背後には、ヒップホップ文化における「持つこと」への反発があり、それを逆手に取った自己表現の形があるのです。彼が見せる生活の裏にある真の価値観は、物質的な豊かさではなく、自己の人生を完全にコントロールする自由そのものであり、それが彼の強さとなっているのです。
あなたは、Russから何を受け取ったでしょう?
今なお、勢いの止まらないRussはSNSで見ることができます。ぜひ覗いてみてください。
#持たない学び #持たない強さ
RussのSNS : Instagram・X
2014年8月 Instagramの投稿:Liveの集客ができだした頃
2018年8月 Instaguramの投稿 メジャー契約後。
最近のXの投稿。とにかく動き出したら、SNSが追えないくらい投稿します。
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