Keitaro Matsumori 2024.11.22 新曲『I Don`t Care About You』をリリース

ALL BY Keitaro Matsumori

2024.11.22 にリリースする新曲『I Don`t Care About You』は
作曲、作詞、ミックス・マスタリング 全て
Keitaro Matasumori が手がけた
初めての曲。

これまでの曲は、音楽活動と当初から出会った
当時高校生のビートメイカー zty(前頭葉)
から提供してもらったビートを zty とともに
アレンジ。
Keitaro はこのビートにのせて、
メロディ、歌詞をつけ
プロデュースしてきた。

Keitaro の音楽創作に深く影響を与えている
アーティストの創造の波動が
彼の創作インスピレーションを掻き立て
ビートをつくりたいという想いを
増幅させ、
今まで触ったことのなかった、
ビートを作る機械
MIDIコントローラー(MPK)を独学で学ばせた。

何度もビートを作り
造っては壊し
そして、今回のビートに至った。

Keitaro の目指すアーティスト像
人としてこうありたいと願う
想いと魂の叫びが
この新曲『 I Don’t Care About You 』に
注ぎ込まれ、
聴く人の魂を揺さぶる楽曲に仕上がっている。

今の社会を生き、悩み葛藤するあなたに伝えたい

新曲 『 I Don’t Care About You 』は Keitaro Matsumori が
音楽活動をはじめ、苦悩し葛藤した
自分自身が体験したことを歌詞に込めている。

音楽では食っていけない。
いいね、好きなことをやれて。

周りの人のそれぞれの価値観がのった言葉を
音楽活動をはじめた頃からもらってきた。

心からKeitaroの音楽活動を応援してくれる仲間もいる。

いろんな思念が言葉にのって、
Keitaroの心を揺さぶる。

バイトと音楽活動を両立させてきた。

現実を見ると、言われた通り。
しかし、Keitaroが進もうとしている世界は
こことは違う。
現実と未来の大きな矛盾にも悩まされた。

しかし、湧き出てくる音楽たちに背を向けることなく
毎日、音と自分の言葉に向かい合った。
その日々を歌詞に込めた。

金ない金ないなんて嘆いてる暇ない
Lonely night 越し
鏡の中向き合い
まだ足りないまだ足りない
綺麗事ばかり嫌になる
不安に押しつぶされ行き先すら見失う

Keitaro Matsumori 『 I Don’t Care About You 』より

この歌詞に、共感できるリスナーは多いのではないだろうか。
ふうでごうは、この歌詞に心を鷲掴みにされる。

この曲の keitaro Matsumori のメッセージは

自分の体験から
“周りの人を変えることは簡単にはできないから
まずは、自分が変わる”

急速に変わっていくこの世の中を
流されるまま、不安を隠しながら生きている人への
讃歌になるに違いない。

新曲『 I Don’t Care About You 』ビートへのこだわり

初めてこの曲を聴く人は
脳が揺れるような低音に驚くだろう

洋楽のHipHopをこよなく愛するリスナーは
Ye、Tyler, The Creator をイメージするかもしれない

ビートの中で緩急をつけ
主にドラムパターンの変化
オールドスクールなドラムから
現行のトラップ(重いキックから808) への変化
を意識した。

まるで、時代を行き来しているような感覚になる。

何層にもわたるシンセサイザー、コーラスのレイヤー
音の足し算引き算により
リスナーに自分が主人公になったような没入体験を
してもらえるだろう。

ふうでごうのつぶやき

これは、リリースすべき

『 I Don’t Care About You 』のデモ

最初のフレーズを聴いた瞬間に湧き出た感情。
Keitaroの近くにいるから、そう思ったのではない。
純粋に、音楽Lover として
多くの音楽を愛する人たち、
音楽を必要とする人たちに届けてほしいと
願った。
この曲を待っている人が世界中にいる。

それから、Keitaro が ユニバースから受け取った
ありったけのインスピレーションと
弛まぬ努力でこの曲は重厚感を増して

とうとう、2024年11月22日にお披露目できる。

芸術活動に努力という言葉は似合わないかも知れない。
それならば、多くの曲を聴き、技術を学び、
という言葉に置き換えてみよう。

ありがたいことに、MIDIコントローラーを
keitaro Matsumori が手にした日から
彼の作ったビートを聴かせてもらう機会を
もらっている。
1年くらい前のことだったろう。
彼が楽しそうにMIDIコントローラーの
パッドを叩いて見せてくれた。
バイトと生活とショート動画の制作を繰り返す日々
その中で、ほぼ毎日
「曲を作る」時間をとってきたという。

MIDIコントローラーとソフトがあれば
ビートが作れる。

そう思う人もいるだろう。

しかし、ここにアーティストの想いを乗せ
リスナーの魂を揺さぶれる曲をつくるのは
また別。

この世にバズを起こす曲は多数あれど

その時代を彩り、
時代を超えて愛される曲は一握り

認知のためにはバズもあったほうがいい
けれど私たちチームの目指すところは
そこではない。

まだまだ拡散能力が低い、
それぞれのSNSサイト

いかにプロモートしていくか
いや、
リリース前からこのプロモートは
始まっている。

『 I Don’t Care About You 』

ディストリビューターに提出した日
この曲は Keitaro の手を離れた。
Keitaro Matsumori という音楽の泉で愛された曲が
この世界で愛を伝えるために

まるで、我が子が世界に揉まれ成長するのを
見守る生みの親のように

『I Don’t Care About You 』が世界で大暴れし
人々の耳に届き、愛される

その成長を見守っていこう。

Keitaro, I proud of you.

2024年12月12日初ワンマンLIVE開催決定!

2024年12月12日(木)に
Keitaro Matsumori 初ワンマンLIVE開催が決定しました!

”ゼロ”
スタートラインに立つという意味も込めて
今回のLIVEを名付けました。
場所は東京都人形町サンゴロ(356)カフェ
開演は20時

チケットはKeitaro Matsumori インスタグラムアカウントより
購入できます。

このままでは今年の目標の一つに手が届かない

ファーストライブへの思いはアーティストは誰でもあるはず。
特にワンマンライブ。
Keitaroにもライブをする場所、ファンの人たちとの距離、
どんなライブをしたいかなど
ライブへのおもいを育んでいました。

今年の我がチームの目標の一つがライブをすること。

この目標に向かって、新曲、SNS投稿を続けました。

曲を出し、SNS投稿を続けていれば、
Keitaro、曲にファンがついてくれて
登録者数が伸び、
ライブができるキッカケがどこかでくるかも

という考えと、

音楽活動がSNS投稿中心になっていることへの疑問

色々なことを話し合いながら夏を過ごしました。

Keitaroはバイトをしながら曲をつくり、
曲を完成させ、
SNS用の投稿の準備(撮影・動画編集・投稿)
自分の時間は音楽活動に充てていて、
その先への想いはあるものの
まず時間的に次へのステップを踏み出せずにいました。

サポートしているふうでごうは仕事の休みの日に撮影に協力。

生活をするためにアルバイト、仕事をする。
音楽でいつか生活できるようになるために
そんな日々を送っていました。

Nasそしてスキルアップ

NasのLive
Keitaroのビート制作技術の向上

実際にLIVEへの原動力はこの2つが大きく影響したと思います。

Keitaroの音楽への想いは撮影毎に聞いていましたし、
音楽活動を通して何をしていきたいか、など未来に思いを馳せていました。

日々の出来事、体調に左右され
いつも同じ状態でいるとは申しませんが、
Keitaroの音楽への想いは太く深くなっていると
側で見ていて感じていました。

しかし、人に与えられた時間は24時間と平等。

1人でできることは限られています。

多くの人の関心が
Keitaroの活動、曲に向けられた時
Keitaroの想いを加速させるのだと思います。

その追い風は一歩踏みだす、パワーにもなります。
一歩踏みだすということは、
一つ自分の世界を壁をぶち壊すということ

その日を側で、見れたことは
ふうでごうの魂をふるわせました。

閉店ギリギリ

Nasのライブにパワーをもらい
確か翌週のショート動画撮影の日。
暑かった夏も終わりかけ
自然光が我がチームの頼りなので
動画撮影時間の切り上げが早くなり
今後の打合せをしながら、

どんなLIVEをしたいか、
Keitaroと話が盛り上がっていた時
ふと、
少人数でもLIVEをできる場所は
ないかとサイトを開けてみると

近くに、カフェで少人数のLIVEができる所が

時計は夜の11時を回っていたと思います。
昼間はカフェ、夜は音楽好きの集まるバー
営業は12時まで

前の週はLIVEで季節外れの暑さの中、横浜遠征
この週もショート動画撮影と
二人とも少し疲れが溜まっている中

なぜか行ってみようとということになり
小走りでサイトで見つけた店へと向かいました。

その時は突然に

場所は東京都人形町。
ハリのあるスーツを着た人
小綺麗な服を着た女性
スーツを着た声をかけないキャッチ
飲み屋が並んでいる場所にしては
ギラギラでもなく
とても落ち着いた空気の中
いろんな人を横目に見ながら道を急ぎます

Keitaroに
人形町駅、水天宮駅を指差しで教えてもらった
すぐその先に目的の店はありました。

周りの静けさと一線を画す、
暖かい光が店の外観を包み
青色の扉は
まるで、ドラえもんの “どこでもドア”

防音のためドアは重く
早く入れと言わんばかりに
開けたと同時に押されたように閉まりました。

時計の針は11時30分を指そうとしています。

ロフト風で音楽が木材に染み込んでいるような
まさに音楽を愛する人たちが集ってきた空気が漂う店内
マスターらしき人物がカウンター奥で
作業をしていました。

普通の客のように、
席に座り、ドリンク、食べ物を注文し
店の雰囲気を体全身で感じ

マスターとKeitaroが会話をし

数分後
Keitaroが自分の壁を乗り越えた瞬間
そう
サンゴロ(356)カフェでの
LIVEが決まったのです。

それまで色々と悩んできたものが
一歩踏みだすことで、
“結果を残すためにどうするか?”
この目先の目標ができ、
やることがすっきりとし始めました。

店を出たのが12時

あっという間の瞬間でした。

12月12日FirstLIVE決定

もう動き出しました。
やるか、やらないか。
LIVEなんて我がチームは観に行くことはあっても
やったことも、手伝ったこともありません。
全てが手探り状態。

我がチームの思いは
このファーストライブに来てくれる人は
Keitaro Matsumoriのファムになる。

ファム。
ファミリーのように暖かく心地のいい場所。
たとえ離れても、心のどこかに
何があってもここに戻れば大丈夫と思える
そんな空間を作りたい。

そのために、できることは全部やっていこう。

人形町の店を出て、
閉店作業で忙しい飲み屋さんの前を
ねっとりした夜の空気の
薄暗い道を歩きながら話しました。

ものの数分で場所、日時まで決まり
そして11月1日にチケットを販売開始しました!

是非我がチーム、Keitaro Matsumoriに興味が湧いた方
12月12日(木)東京都人形町 サンゴロ(356)カフェに
会いに来てください。
お待ちしています。

チケット料金 3000円(➕ワンドリンクご注文お願いします)
開場19:00 開演20:00

チケット購入はKeitaro Matsumori インスタグラムより購入できます。
(Spotify Keitaro Matsumoriアカウントからも購入可能)

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。
今日も一日笑顔でお過ごしくださいませ。

道が見えれば、さあ行動しよう!

前回の投稿で、自分の名前を長年嫌いだったこと、それを乗り越えたことを書きました。

ふうでごうの「お名前ストーリー」は
薄々気がついていた、自分がしたい生き方を示すものだったのです。

名前のそれぞれの漢字の意味、音からの意味などをただただ好きなように並べただけ、
その中に、少しだけ心地のいい、好きな言葉を加えました。

今までの2投稿を読んでいただくとおわかりいただけると思うのですが、
ふうでごうは、“そこのけ、そこのけ、お馬が通る”のような
性格ではありません。
悪いようにとれば優柔不断。
良いようにとれば平和主義。
トラブルが起きないよう最善策をとる行動をとろうとします。
そのために情報を集めようとします。
新しいことにも、あまり億劫にならず手を出すことができます。

ちょっと情弱なところがありますが笑
ま、これは自分の弱点として認識しているのでなんとか回避できます。

組織の中でいえば、風通しをよくし、職場環境を明るくする人材

けれど、こういう人って、
重宝がられず、どちらかといえば、目障り笑
だから、なんとかして職場の空気に合わそうとするのですが
天然風にとられ、実は天然なのですが…
職場で居るのがつらいときもありました。

これ、ふうでごうの一面です。
けれど、もう一人のふうでごうは結構、戦略家でもあります。

ちなみに、好きな人物をあげると、
ダイアナ妃、マリア・テレサ
出光佐三、宮本武蔵

この母性本能の強い人物と力強く、戦いが上手な人物が好きというのは、
ふうでごうの中ではとても不思議でしたし、違和感でしかなかったのです。

この二面性を長年、うまくコントロールできずにいました。

きっともっといろんな、ふうでごうがいるのでしょう。
この二つの面は際立っていて、自分にもわかります。

お読みになってくださっている、あなたも、自分のいろんな面をご存知だと思います。

そのいろんなものをまとめれたのが
「お名前ストーリー」だったのです。

この「お名前ストーリー」が徐々に自分の中に浸透しはじめたとき、
目の前に、自分のやりたいこと、やってみたいことがあったのです。
あったというよりも、すでに自分が引き寄せていたのかもしれません。
その2つが

アーティストの Keitaro Matsumori をサポートしていく。
そして、このブログを再開していく。

あれもできたらな、これもできたらなって手を付けずに、想像ばかりしていましたが、
どんどん選択肢が狭まって、
この2つがふうでごうの前に残ったのです。
そもそも選択肢というほどのものもなかったのですが。。。

ふうでごうがいかにして収入を得て生活をしていくか?ということが頭から離れず、
自分が食いっぱぐれないように、どうやって自分のスキルを身につけ、仕事をしていけばいんだろう?
なんて考えて、うだうだと理由を自分の中で作って
目の前に自分の興味のあることがあるにもかかわらず…
前に進めないでいました。

こんな自分中心の囚われから解放してくれる助けになったのが
この「お名前ストーリー」だったのです。

せっかく、お気に入りの名前“ふうでごう”でブログを書いていますので、
好きな名前の「お名前ストーリー」は伏せさせていただいて、
(書かないんかーい!すみません。)

大筋は

“道案内”

というものです。
何かをしたいと思う時、
何かを成し遂げたいと思う時、
イメージする自分の立ち位置は強く引っ張っていく先頭をイメージしてしまいます。

あなたはどうでしょう?
ふうでごうは、そのことにすごく違和感を感じていた。
先頭で光を浴びているイメージ。

SNSで起業家さんがキラキライメージを作って、“わたしは、これでこんなに自由になりました!”

これ、なんだか違和感でしかないのです。
もちろん、ふうでごうにもその一面もあるかもしれません。
けれど、あそこには微塵も憧れはないのです。
SNSの見過ぎなのかも笑。

先頭に立ちたいとは思わないけれど、
学びを通して、自分が成長をし、
人の、世の中のお役に立つことをしたい。

この想いをあらわしている、“道案内”という言葉にしっくりきているのだと思います。
観光ガイドさんみたいなイメージ。先頭にはいますけれど。
そういえば、数年前、通訳案内士を目指したことがありました。
3度挑戦しましたが、夢かなわず……

自分の合っていそうな道を無意識に選んでいるものですね。


自分が本当に何をしたいのかがを見つかるときって

最大限、何にもとらわれずイメージして
自分がそこへ辿り着けないと思う、固定観念を外し
自分は?自分は?という我欲を少し手放し、
心や頭の中が静かになったとき。

あー、この道なんだって道が一旦狭まることだと思うのです。

この道は経験や、出会いで広くなっていくでしょう。

けれど、最初の道は細くてこれを地固めしていくようなもの。

とはいえ、それまではいろんなものに手を出して、失敗して、
また手を出して、失敗してを繰り返す。
最初に手をつけたものが、うまく自分にあっててその道を極められる人もいますけどね。
結局、自分で動いて経験して、反省して、また次へ。
これは人生をグラフであらわすと、全体的に緩やかな上昇になっているのです。

人は未知の世界に興味は持ちますが、大きく変わることに反発を覚えますし、
今いる周りの人にその答えを求めようとします。
自分のいる馴れ親しんだ場所に安住の地を求めるのだと思います。
そして、なにも変わらない。変わらないのがいいのであればそれでもいいのです。

ふでごうも、周りの空気に流されて、今いる場所でいいじゃん!って思うこと、あります。
だって、今いる空気に合わせていれば摩擦もないですし、別れもない。

けれど、ふうでごうはいつも風に吹かれて風を感じていたいのです。
このサイト名『風を感じて一人あるき』ですよね。

一度きりの人生。いつ終わるか分からない人生。
明るく、朗らかに、勇気をもって生き抜きたいのです。

この気づきすべてが上手くいかなくても、その経験は人生を豊かにすると信じていますし、
今は上手くいかないとも思っていません。
一日の限られた時間しか、やりたいことに没頭することができません。
これも、そんなことを考えずにやっていたら、また新たな道が見えてくるだろうな。

ふうでごうがどうなっていくのか楽しみでしょうね。自分自身が楽しみで仕方ないです笑。

何か心の中にやりたいと思っているのであれば、ちょっと動いてみる。
自分の心と十分に対話をしてみるといいですよ。

誰かの意見に流されるのではなく、
知識も自分で正しいのか、自分にも再現性があるのか
はたまた、新しく何かを融合してやっていくのか
考えてみるのも楽しいものです。
その時間は、周りの人がどう思うかなんて考えないこと。

もちろん、生きている限り、目の前にいる人以外に目に見えない人たちにもお世話になっていますから、感謝の気持ちは大切ですし、最低限の倫理は必要です。

自分がこうだと思っていることを一度、疑ってみるのもいいですね。

さてさて、
ふうでごうの道案内どうでしたでしょうか?

まだまだ不慣れなところはありますが、
これからの学びと実践ですね。

道が見えれば、さあ行動!


これで、ブログ再始動のダイアローグは完了!

やっと、ふうでごうらしく、つぶやいていけそうですし、
Our Journey の投稿もできそうです。


では、また投稿でお会いしましょう。

最後まで読んでいただきまして、ありがとうございます。              
よい一日をお過ごしくださいませ。

SNSってほんと疲れるよね…

“信じるということ
人を信じる
ある考えを信じる
救いにはなるかもしれないけれど、
信じること以上を得ることは
できないのではないのだろうか?”

ある話を耳にして、
ふとこんな思いが浮かんで、
数日間もんもんとしていた。

ふうでごうはなんでも信じやすいタイプで
別の見方をすれば、
いや、正直に言おう
詐欺にかかりやすいタイプだと自負している。

その時自分に必要な言葉を発信している人を
この人はふうでごうの求めていた人だ!と
過去の動画を調べたり、書籍を探したりと
どっぷりと浸かる。
特に何かに救いや答えを求めているときに
こういう行為に陥りやすい。

お察しのとおり、
この後は何かしらの自分の生き方、考え方に
合わないところが出てきたり、
ちょっとした違和感を感じると
急に熱の冷めた恋人のように、
まったく追わなくなる。
これ、恋愛と一緒で、本当に疲れる…

ほぼ毎回同じことを繰り返してる。

人との付き合い方と一緒で、
“追えば追うほど、相手は逃げていく”
なのかもしれない。
ほどよい距離で、気に入ったところは
出会った言葉、出会った人柄
今の自分の状況にプラスになることをいただけてよかった
ぐらいがちょうどいい。

結局、どっぷりつかった情報に翻弄され
その通りに考えたり、行動したりしないと
何かバチが当たるくらいに感じてしまうのだ。
本当はそんなことないのに笑。

こんな罪悪感を感じない人がうらやましい。

元の話に戻ろう。
長年、ふうでごうを苦しめてきたことが
はじめて言語化されて
自分の救いの行為の流れと
その元となる自分の癖が
認識できるようになった。

情報を探すとき、核心に触れていない、
答えを言ってくれない
そんな時、これって怒りだろうな
“なんだ!情報発信するんだったら
答えを言ってほしい!”
“もっと詳しく見せて!”
と思ってしまう。
ま、結構な割合で講座への勧誘がその後
ついてくることが多いですよね。
だって、それをビジネスにしているのですから。

でもね、最近思ったのです。

人や物を信じるということは
何かに救いを求めているのかもしれない。
答えや、情報は自分が見つけるものだと、
何かしらの手がかりは必要かもしないけれど
自分で行動して、調べて、見つける。
とてつもない時間や手間がかかるかもしれない。
こんなに時代の流れが早い、早いと言われている中で、
答え一つ見つけられないのは流れに遅れてしまう。
って思ってもみましたが、

考え方をかえよう。

もちろん、答えを探すのだってSNS上の場合
もあります。
一つの事を信じてどっぷり浸からない、
いくつかの情報に触れる。
たまには、反対の意見の情報にも触れる。
好き・嫌い、いい・悪い
という自分の感情で情報を判断しないように。

すべてのことにあてはまらないことなのは
分かったうえで、
なんでもかんでも信じやすい、
ふうでごうの苦しまない生き方の知恵です。
特に情報に触れる時は、感情で判断しないように。
なるべく中立の立場でいようと気を付ける。

このことをしっかりと認識でいている時は、
SNSを見るのも短時間になっていますし、

あ、今日この言葉いただき!
ありがとうございます!

このやり方で、
他の時間をとれるようになったし
何よりも疲れなくなった。

では、何を信じれはいいのか?
ふうでごうなりの答えは

自分自身。

自分の弱み、強味をしっかりと把握する。
そして、自分の過去の経験ではなく、
自分に受け継がれているDNA、英知を
存分の享受するということでしょうか。

ふうでごう自身、最後の時まで
ずっと学びつづけ、自分を見つめて
いくので旅をしている途中なので、
いつかAIなんて言葉出てくるかもしれません。
でも今のふうでごうが出している答えは
信じるものは自分自身。

ふうでごうのように信じやすい方は
少ないと思いますが、
信じやすい方にはおすすめの方法です。
また、こんな人もいるんだと、周りの人の理解につながれば幸いです。

ふうでごうがこのブログで発信している根底に
あるものはただ一つです。
このブログの“風を感じて一人あるき”のとおり
自分自身を知り、慈しみ、愛し、
そしてふうでごうもその道を歩む友として
自分自身を信じて
一緒に風を感じて人生という素晴らしい旅を
いつまでも楽しんでほしいという想いです。

最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。

では、また次の投稿でお会いできることを
楽しみにしております。

ふうでごうのつぶやき1


お名前ストーリーは最強だった。

あなたは、自分の名前好きですか?

好き、嫌いなんて考えたことない?

それってすごく幸せだと思う。

集団生活をするようになると
必ず、持ち物には名前を書くし、
毎回のテストにも名前を最初に記入する。

大人になったって、証明書や
人生を左右するようなものすべてに、
名前を好きだろうが、嫌いだろうが
名前を自分で書く。

名前が嫌いだと、その度に
いやな思いが積もっていく。

名前が嫌いだと大変なんです。

ふうでごうはそんな人の一人。

最近まで、名前を呼ばれるのが本当にいやだった。
特に、下の名前。

大人になると、書類を書く時以外は
あまりフルネームを見ることも
書くこともなくなったから
名前が嫌いだということを忘れてしまうことも。

時の流れの中で、名前が嫌いだということも洗い流せる、
年をとれば、自然に受け入れられるようになるかもって思ってた。

名前を自分自身のものだと認めて、
好きになるということは、何かの拍子に、何かのついでに、出来ることではなかったようです。

そうこうしていたら、
自分の名前としっかりと向き合う出来事が降ってきた。
そう、切羽詰まった状況ではなかった。
突如、その時が来て…(あ、強制的じゃないですよ)
まあ、逃げようと思えば逃げれたんだろうけど、
なぜか、その時は
素直に向き合おうとできた。

実は、この名前と向き合う全く同じ作業を、4年前にもしたことがあったのです。
その時は、名前が嫌いだということに
しっかりと向き合わず、
ぺらっと撫でるように終わらせました。
この作業がこんなに意味のあったことなんて…
4年前の自分に言ってあげたいです。
“自分の名前を好きになるって本当に大切なんだよ。ちゃんとやってみな。”
ってね。

4年前といえば、このブログを始めたころ、
Fudegoふうでごうという名前をつけて、
“ふうでごう”って名前が気に入って、
SNS上で自己表現を始めたころで、
好きな自分の名前ができた、喜びが先にたっていたので、状況としては仕方なかったのかもしれません。
自分の名前がどんなに大切かということが分かっていなかったんですよね。

思い返してみれば、別の名前を使うというのも、ある意味、いい方法なのかもしれません。
だって、ブログをはじめるという行動を起こすことができたのですから。

けれども、どこかで自分自身とふうでごうのズレは生じてくるかもしれませんね。

それに、物事にはやはりタイミングというものがあるのかも…

さてさて、ふうでごうのやった作業。
どんなことをするのか、気になりますよね。

簡単なんです。

小学校の時に自分の名前の由来を
調べるという宿題をしたことありますか?
由来というか、どういう想いで名前がつけられたか。
記憶が正しければ、授業参観の時に発表したような…

ふうでごうがやった作業は、これの自分で勝手にバージョン。
誰かに聞いて、自分の名前への想いを思い巡らすのではなく、

自分で名前の漢字一つ一つ意味を調べたり、
音から心地のいい意味をとってみたり、
自分勝手に気に入った漢字のそれぞれの意味をつなぎ合わせ、
(順番も好きなように変えて大丈夫!)
自分で都合のいいようにストーリーを創るのです。

そして、その文末に

「という生き方をする○○〇〇です。」
と締めくくるのです。

この出来たストーリーを毎日繰り返し自分に刷り込む。

そう、嫌いだった名前。 その名前を呼ばれて、
イヤーな気持ちになった記憶。
その記憶の上に、心地のいいストーリーを上書きするのです。

そりゃあ、最初はなんだかちんぷんかんな文章かもしれません。
だって、今まで自分の中になかったストーリーですし、
ちょっとした抵抗はありますよね。

でもね、その文章には自分が一つ一つ調べて、気に入ったイメージをのせていますから、
とてもパワーがあるのです。

そうそう、一度つくったものがなんかしっくりこなかったら、
書き加えたりしてみてもいいかも。
ふうでごうも、より心地がいいように何度か作りかえました。

自分の名前の漢字たちや音たちの意味を調べながら
新しい発見があったり、妙に納得したり、
時間ではなく、深く関わる。

ことがもうすでに、自分の名前に自分で
新しい息吹を与えているのだと思います。

これ、不思議なことに、ふうでごうが
薄々気がついていて、
でも抵抗していた働き方、生き方の
お名前ストーリーになったんです。

このことは次回にまわしますが

ふうでごうの自分を好きになる、愛おしく思える。
その過程はとても長く、どこまでも続くのだと思います。

数か月前にやっと自分の名前が愛おしくなったら、また次の問題が起こる。
人生って自分発見の旅なんでしょうね。

何かしらの課題を持ってこの世に生まれてきている…

というのはまんざらではないかもしれません。

思い出をきれいに洗い流すことはできないかもしれないけれど、
都合のいいように勝手に上書きすることはできる。

脳を自分で都合よくだますことができる
ということを実感しました。

今は、自分の名前を呼ばれると
たまに、ニコニコしていまう反応が
自分では気になりますが笑

そうはいっても、上書きは最近で、
日々自分の状態は微妙に違いますよね、
だから、意識していないとき、
名前が好きだという認識は変わらないのですが、
ふと、名前に微妙な反応をしてしまうことがあります。

毎日、自分のお名前ストーリーを読んで、体に沁み込ませて、
名前を書く時、名前を呼ばれた時、
お名前ストーリーそのもの、
お名前ストーリーを読んでいる時の心の温かさなど
思い出せるようになると昔の感情に戻ることも少なくなります。

自分の名前が好きになると、
今日ここに存在できること、
今までの出来事などすべてのことに感謝できるようになりました。

このような気持ちの変化から
少しずつですが、
停滞気味だったふうでごうの追い風が吹き始めたのです。

周りの人にそう見えてなくても、そう思うというのは大切です笑

このブログを再開できたのもそう。
Keitaro Matusmoriを全面的に応援しよう
と決意したのもそう。
他にもいろいろありますが

やっと、自分の人生を自分で舵をとれだした!
という感じがしてなりません。

だって、今まで名前はあったのですが、
自分の中では否定していたので、
名無しだったのです。
これを想像したとき、なぜか
宮崎駿の映画『千と千尋の神隠し』の
カオナシが頭に浮かんだのには
ちょっとわれながら笑いましたが。

カオナシならぬ名無し
名無しならぬカオナシ

いやいやそんなことを書くためにこの体験を
お伝えしたわけではなく、

自分を見つめ知ることは長い旅で
自分の心の詰まりを取るのは
一人一人、タイミングがあり
それぞれ課題がちがうし、解決の糸口も
ちがうのだということをお伝えしたかったのです。

自分の外に解決する糸口はあっても、
誰かに誘導してもらったとしても、
自分を知るには自分で深く向き合うことが鍵だと思います。



ふうでごうの投稿がどなたかの役に立てれば幸いです。


最後までお読みいただきまして、
ありがとうございました。

では、また次の投稿でお会いできるのを
楽しみにしております。

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