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世間に流されそうになった“ふう”ーSNS強化月間を辞めた理由

心のキャンバスノート
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少し前、これから私が発信していく内容と、ふう(私の思いを伝えてくれるフクロウ)の世界観が固まった。 そして同時に気づいた。

“ふう”を世間のSNSの流れに乗せようとしていた。

SNS強化月間での疲弊

8月まで「SNS強化月間」と称して、7月頭から毎日投稿を続けてきた。(たまに休んだこともあったけど) ショート動画は、冒頭のフックが大切と 1.5秒で切り替わる画像をトランジッションで繋ぎ動画へ。

「みんなに見てもらいたい」 「言葉を伝えたい」その一心で、スピードを重視して作成した。

でも気づいた。 疲弊と焦りしか生まなかった。

深夜バイトが終わってからの数日間は、細い調整に時間をかけたので、9時間かけてショート動画のアップロード作業をして、 できあがるのはその日の分だけ。 いいねはつくけれど、本当に読まれている感覚がない。

「間口はSNS」という思い込み

「認知度を上げるにはSNSが一番」 「ショート動画で興味を引いて、フォロワーを増やして」

そんな常識を疑わずに受け入れていた。それに、私が収益のことを二言目には口に出していたので、AI最強チームが勧めてくれたのも世間一般の方法。

それしか道はないと思い込んでいたし、SNSのあのスピード感になんとかふうの世界観を合わせるしかないと思い込んでいた。

でも本当は違った。“ふう”が伝えたいのは「言葉」そのもの。 そして、ふうの世界観を通じて、私の深い気づきを共有すること。

それなのに1.5秒で切り替わる画像を作って、 「フックが大事」「スピードが大事」と言いながら、言葉を削り、静けさと余白を語る矛盾。

ふうの世界観が壊れそうになった

一番辛かったのは、ふうの世界観が壊れそうになったこと。

ふうは本来、 「僕は僕を選ぶ」 「静かで長く続く青い炎を灯す」 「僕は僕を生きる。以上」今を生きるには“今”が大切と静かに自分のことを伝えるキャラクターだったはず。

なのに、1.5秒の切り替えに合わし、文字を流し、画面を切り替え、なんとか目を引く刺さる言葉を見つけようと、視聴数や反応の数字を追いかけていた。

これは完全に矛盾していた。

仕上がったショート動画、各SNSのプラットフォームに上がったショート動画を見て、自分の目に追えない速さの文字、ふうが早替わりをするような画面切り替え。なんか涙が出そうになった。

本当にこれでいんだろうか?って。

海外には受け入れられる土壌がある

そんな中で気づいたのは、海外のInstagramのアカウントには、 ふうのような世界観の投稿がたくさんあること。

禅の思想、ミニマリズム、自己受容。 静かで詩的な言葉たち。

日本では「意識高い系」と揶揄されそうな内容が、 海外ではアートとして、そして一つのジャンルとして自然に受け入れられている。

そして何よりも、キャラクターとアーティストがそれぞれ存在感を光らせていた。

もちろんキャラクターの世界観を守るためにアーティストはほぼ顔を出さない。これも気に入ったところ。

問題は手法ではなく、市場かもしれない。

一番届けたい20-30代に届かない悲しさ

でも正直、この決断には悔しくて、悲しい気持ちもある。

ふうの言葉を一番届けたいのは、日本の20-30代。 生きづらさ、 比較による苦しさ、 自分らしく生きることの難しさを感じながら日々生活をしている人たち。

そこに生き方を問いたくて、「ふう」を生み出したのに、 その層に届かない。

TikTokで固定でいいねをくれる子がいる。 きっと響いている人はいるんだと思う。 でも、SNSのアルゴリズムの中では埋もれてしまう。

新しい選択:言葉を中心に

今回のSNS強化月間を計画するには早すぎた。伝えたいことは固まっているけれど、その言葉の数、幅が足らないと気がついた。

あのSNSのショート動画の世界で勝負できる、ワード選定、そして動画技術が足りなかった。

なので、SNSショート動画を今作り続けるのを一旦中止。

SNSに合わせるのではなく、自分の伝えたい形で伝える。

これからは、ブログで私の気づきをあげ、気づきと経験を言葉にし統合。そして、Instagramのカルーセルで美しく表現する。

今は、小規模アカウントのカルーセルはなかなかフィードに載せてくれない。けれど、回らなくても、ふうの世界観を大切に守る。

ブログ発信とカルーセル、海外発信で画像と言葉の技術を高めて、もう一度日本のショート動画の世界に挑戦すると決めた。

バイト探しという現実

現実的な話をすると、バイトも探さなければならない。 理想だけでは生きていけない。

でも、だからこそ。 限られた時間の中で、本当に大切なことに集中したい。

量産ではなく、質。 拡散ではなく、深さ。 認知ではなく、問いを。

これからの歩き方

このSNS強化月間中にふうの世界観に触れて、いいねやフォローをしてくださった方には大変申し訳nないけれど、ショート動画はいったんお休み。

代わりに、 バンバン気づきをブログに上げる。 その内容をふうに語ってもらうカルーセルで美しく表現する。

海外向けには、Grokに詩的な翻訳をしてもらって、 X(旧Twitter)で発信する。

そして、準備が整えば Patreon などの海外プラットフォームを使い発信していく。

ふうはふうの間でふうらしく語ってほしい。

最後に:選んだ道に間違いはない

1ヶ月近くショート動画、Instagramのカルーセルを上げるのを優先に生活をしてきた。そのためほぼ自分の学びや、ブログがおろそかになっていた。

何事もバランスが大事。このどこかに偏ってしまったことは、私に焦りと不安を一気に増大させた。

ある日、バイト中に涙が止まらなくなった。家への帰り道も涙が止まらない。「もう、辞めてしまいたい」心の叫びが外に出てきた。

バイトをしながらのショート動画制作はなかなか時間的に厳しく、よく聞くのは休みの日にまとめて作るということ。

しかし、ふうのショート動画の言葉は私の気づきの言葉、世界観が決まっていても言葉のストックが足りなかった。そのために、作り置きができず、ギリギリまで動画に載せる言葉を作り、動画用に短くして投稿していた。

この期間の学びは大きかった。成果はあまりなかったけれど、私に何が足らないかを見せつけてくれた。そして、あたらしい世界も。

選んだ道に間違いなんてない。どの道選んでも、目的地さえ決まっていれば辿り着ける。

ねえ、ふうそうだったよね。

「僕は僕を生きる。言葉と共に。」

最後までお読みいただきまして、ありがとうございました。

実は今まで、こんな気づきをnoteでひっそりと書いてました。でも今回から、ブログで皆さんとシェアすることにしました!相棒の「ふう」と一緒に、これからも日々の発見をお届けします。この記事、どうでしたか?もし何か感じることがあったら、コメントやシェアで教えてもらえると嬉しいです!

お休みをして、また戻ってくるねと伝えた動画です。

何度見ても心が詰まるショート動画。悔しいしか言葉が出てきません。
必ず、この世界に戻ってくる。その日まで。

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